【報告】習志野駐屯地見学(20231109)

駐屯地/基地および部隊

日本国防協会主催の習志野駐屯地見学に参加してきましたので報告します。

朝の8時東京駅に集合なので始発の新幹線で向かいます。集合後、貸し切りのバスで船橋にある習志野駐屯地まで移動です。参加費は8,000円なので、新幹線代を含めるとなかなかの出費になりましたが、貴重な体験ができたので有意義な見学になりました。

習志野駐屯地は第一空挺団がある駐屯地です。第二空挺団はないので日本唯一の空挺部隊です。第一空挺団は3つの普通科大隊を中心に特科大隊、施設・通信中隊、後方支援隊などがある精鋭ぞろいの団で、スローガン通り「精鋭無比」のようです(このあたりについては後述します)。そもそも空挺の役割というのは、専守防衛を掲げている日本においては、「侵攻されているところへの投入」「侵略されたところの奪還」になると思います。そのためレンジャー隊員の比率がとても高く、文字通り精鋭ぞろいです。

実際にパラシュートで落下する「空挺隊員」は適性検査に合格すると、新隊員で約14週、一般隊員で5週でなることができます。この間に地上11mの跳出塔からの跳び出しを数十回(この体験が今回の見学のメインイベントです)、70mの降下訓練などを経て航空機からの降下訓練を5回実施とハードな教育期間を修了すると晴れて空挺き章をつけることができる空挺隊員です。見学の途中で衛生科の隊員と話したのですが、彼も空挺隊員です。空挺隊員になると、号俸の33%の落下傘隊員手当がつくとのことで、それだけ大変なスキルなんだと想像できます。

駐屯地についてからは、まず歩いて施設内を見学します。訓練用のヘリコプターや輸送機の胴体がありますが、最も目立つものは約80mの降下塔です。

降下塔ではパラシュートが開いている状態で吊り上げられ、約70mの高さから降下する訓練をしていました。地上ではそれほど風を感じませんでしたが、降下する隊員はかなり風に流されます。どこに降りるか(ほとんど)コントロールできないなんて、かなり恐ろしい・・・。

今回の見学のメインとなる跳出塔体験は、空挺隊員になる教育のうち座学・地上訓練ののち行う本格的な落下の訓練を経験させていただくものです。11mというのは最も怖く感じる高さなので、恐怖心に打ち勝つ最初の訓練だそうです。跳出塔からワイヤーが張ってあり、跳び出したあとワイヤーに吊られジップラインのように土手まで滑っていくのがこの訓練です。

この跳出塔体験は股関節などに大きな負荷がかかるため、54歳以下(自衛官の定年)でないとできないようです。

まず、自衛隊の戦闘服(上衣)、グローブ、むち打ち対策のパッド、ヘルメット、ハーネスを装着します。その後跳出までの流れの説明を受けます。「1」で左手を「2」で右手を胸の前に置いてクロスさせ、「3」であごを引き、「4」で左足を前に踏み出します。この時の左足は1/3くらい外にでる位置にします。そうしないとビビッて跳び出すとお尻を跳び出し台にぶつけるとのことです。レクチャーの後簡単な体操をして、いよいよ跳出塔へ上ります。ビルの3~4階分の階段を上ると、下から見上げるのとは全く違う景色です。ヤバい、怖いやんかと思っていると案の定1番目の方は躊躇して跳ぶまでに時間がかかっています。2番目は女性であっという間に跳びました。3番目の私は下をみると跳べなくなると思い、遠くを見て思いきって跳びました。いただいた写真を見るとかなりひきつった顔をしています。

これは怖いけど、何とかいけそうです。自分もあと35歳若かったら空挺隊員になれるかもしれません。

跳出塔体験の後は食堂で喫食体験をしました。カツカレーをおいしくいただきました。左側の盛り上がったごはんは追加したものです。カレーにかかっている透明な液体は辛みオイルです。量も辛さも調整できるようになっているところはさすが、気がきいています。

午後は落下傘整備工場を見学しました。見学したところは撮影禁止だったため、写真は撮れませんでしたがとても見ごたえのある見学でした。落下傘は10種類ほどあり、それぞれ整備方法や包装(畳んでパックする)方法が異なります。また、落下傘が入ったリュックは20キロ近くあるため、包装作業は筋力が必要です。さらに万が一落下傘が開かなかったらと考えるととても責任重大が仕事になります。後方支援とはいえ、体力的にも精神的にも大変な部隊です。実演してくれた若い士長はみごとな上腕を持ち、早く正確で所作が美しい見事な作業でした。

落下傘整備工場の隣では、物資や車両を投下するためのパッキングをしていました。人間が乗らないパラシュートはバランスが取れていないとちゃんと降下しないと聞いたことがあります。重量バランスや着地した際の衝撃を計算してパレットの上に載せています。本番で失敗することがないよういろんなノウハウがあるのでしょう。こちらはチームで整然と作業していました。

最後の見学は習志野駐屯地の資料館「空挺館」です。この建物は御馬見所という由緒正しい建物を資料館として使用しています。この建物は明治時代、東京-目黒にあった陸軍の騎兵訓練を明治天皇が御親臨(見学)するための建物だったようです。その後騎兵学校が習志野に移転したタイミングで現在地に移転したとのことです。ちなみに習志野という地名は明治6年天皇による近衛兵の演習の際、見事な指揮をとった篠原少将をみて「習え篠原」から習篠原~習志野となったとか・・・。

中に入ると、空挺部隊の歴史、装備の変遷、第1空挺団の実績などさまざまな展示があります。説明をしていただいた方のお話が感動的だったので紹介します。その方は宮城県出身の方で、左胸に空挺、レンジャー、水陸両用と3つの徽章が付いていて、水陸機動団の立ち上げ以外は第1空挺団にいるという普通科の超エリートという感じです。東日本の震災では身内の多くの方が亡くなったそうです。そんな中、福島県相馬市の災害支援に赴き、立ち入り禁止区域で活動されました。線量計が振り切れる環境で、簡易的な防護服での活動は躊躇するものだったが、招集された300名弱の第1空挺団は事前にこれらの状況説明を受けました。命令だけど辞退していいという条件の中、辞退したのは2名だけだった、その2名も事情があり、他の隊員は一切辞退した隊員を悪く言わず以前と変わらず接したとのことです。その方が「第1空挺団を誇りに思ったのはこの時でした。」と言われたときはグッときました。自分の子が自衛隊にいることを誇りに思いました。

空挺館の見学後、習志野駐屯地を後にしてバスで東京駅へ戻り、解散となりました。