防人(さきもり)について

コラム

先日、元自衛官 千葉徳次郎氏の防衛講話を聴講しました。少年工科学校~防衛大学校を卒業し自衛官になり、東北の震災時には北部方面総監をされていた方です。

講演の内容は大きく以下の3点でした。

  • 日本人のDNA~防人について
  • 自衛隊の歴史~国家安全保障戦略について
  • 教育~資質と識能について

また、東日本大震災で経験されたこともお聞かせいただき、とても有意義な講話でした。

千葉さんは北部方面隊総監時、隊員に遺書を書くことを強要したとして有名になってしまったのですが、どこからも取材はなかったそうで、俗にいうコタツ記事(ソースの確認をしないでネットの情報だけでコタツの上で書く記事)が出回ったようでした。

千葉さんは昔読んだ沢木耕太郎著「防人のブルース」に出ていた防大生くらいの世代かなあと内容を思い出しながら聞いていました。沢木耕太郎は私の好きなノンフィクション作家で「深夜特急」が有名です。「防人のブルース」は確かデビュー作で自衛隊員や防大生にインタビューして、当時の彼らの思想がうかがえる内容だったと記憶しています。ずいぶん前に読んだきりなので、また読み直してみようと思います。

防人については映画「二百三高地」の主題歌である「防人の詩」を知っていたので読めましたが、普通は読めない漢字です。岬を守る岬守に中国語の防人をあてたとのことで読めなくて当然の漢字です。ちなみに子供に聞いたところ「ぼうじん」とのこと。会社の同僚に聞くと30代~40代でも「ぼうじん」でした。

講話の後、子供のころ観て怖い印象だった「二百三高地」ですが、Amazon Primeで観ました。3時間を超える映画ですが、出演者が豪華なこともあり飽きずに一気に観ることができました。乃木中将を演じた仲代達也が印象的でしたが、その他森繁久彌、三船敏郎や夏目雅子など存在感がすごかったです。乃木中将が中心となって日露戦争の旅順攻略を描いているのですが、いろいろなしがらみにとらわれたとてつもなく悲惨な物語です。

現代では自衛隊員の別称のような扱いになっている「防人」ですが、元寇のころの制度と教えていただき、興味を持ちましたので図書館等で資料を探し調べてみました。

防人とは7~10世紀に唐(中国)や新羅(朝鮮)の侵攻に対して九州沿岸を防衛するための軍事制度のことです。朝鮮半島にあった百済という国を唐・新羅から守るために出兵した倭軍が大敗した「白村江の戦い」以降、唐や新羅が攻めてくることを恐れ制定されました。任期は3年、当初は浜松より東(東国)から徴兵されます。任期中の衣食住は自分で賄う、任期満了後も自力で帰郷する、徴兵中の税が免除されない等、大変に厳しい徴兵制度だったとのことです。8世紀中盤以降は九州から集められるようになり、新羅の海賊に対し防衛をしていましたが、10世紀ごろには九州の武士が替わって防人の役目を果たすようになりました。

また、防人は「万葉集」のなかでジャンル化されるほど有名です。万葉集は8世紀末には完成していた全20巻(短歌約4200、長歌約260)からなる世界に誇ることができる歌集です。作者は天皇~農民までと幅広く、その中に防人や防人の家族によるものが98首あります。これらを読むと、少し他人事でなく共感できるのは私だけでしょうか。家族会目線の歌を列挙します。

父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉ぜわすれかねつる

読み:ちちははが かしらかきなで さくあれて いいしけとばぜ わすれかねつる

意味:父と母が、頭をなでて達者でと言ったあの言葉がわすれられない

大君の命かしこみ磯に触り海原渉父母を置きて

 読み:おおきみの みことかしこみ いそにふり うのはらわたる ちちははをおきて

 意味:天皇の命令に従い磯ずたいに海原を渡る。父と母を残して。

忘らむて野行き山行き我来れど我が父母は忘れせぬかも

 読み:わすらんて のゆきやまゆき われくれど わがちちははは わすれせぬかも

 意味:忘れようとして野を山を行き私はやってきたが、父と母のことは忘れられない